意訳
阿弥陀仏のみ許にお召しを頂いて、死生の煩いのない身になりたいという尊いお心ざしを、今一段と巌のごとく固く堅持して、ひたすらにお念仏の一行に徹し、他の誘いに屈して、他の修行に鞍がえしてはなりませんぞ。 |
解説
一向ということは、一つのことにもっぱら心をそそいで、他のことに一切みむきもしないこと。つまり、他のことを交えずに、ただ「ひたすら」に、「いちず」に、「専一」にことを運ぶことである。
私たち日本人の多くは「縁結び」、「厄払い」、「安産」、「入試合格」、「商売繁盛」、「病気平癒」など、それぞれの願い・目的にかなった神仏を選りすぐって、その神仏のまします社寺にお参りして、祈願することをならわしとしている。だから祈願の対象は一つでなく、その時その時の願い・目的にしたがって神仏は、入れかわり交替する。
「一向専修」とは、ひたすらに南無阿弥陀仏とみ名をとなえる実践である。信仰の対象は阿弥陀様一仏に限られるわけである。その阿弥陀様に対して、この私を何卒護り、助け、導き、救い給えという願いを、南無阿弥陀仏の声に託しながら、すがりまかせるのである。だから阿弥陀様は私の救い主であり、私の唯一の心の支え、よりどころである。そのようなことであるから、信仰の対象はおのずから一仏にしぼられて、他の神仏と交替することはない。しかも私の願いをかなえる道・方法は、阿弥陀様が選りすぐって指定された南無阿弥陀仏と、み名をとなえる一行に限られている。祈願のようにお役がすめばお払いにするようでは、純粋な信仰とは言い難い。「一向専修」には夾雑は禁物であり、純(もっぱ)らでなければならない。 |
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