意訳
私は、もっともっと欲しいとむさぼり、おもいどおりにならないと怒り・腹だち、ものの道理をわきまえ心得ているようでも、からだ全体をとおすとわかっていない(貪欲・瞋恚・愚癡という煩悩=人間の性)ばかりに、身の行いも、はなしする言葉も、心におもい考える(身と口と意の三業)ことも、すべてなすべきことを怠り、なすべきでないことを行っている(罪悪)ような、ただの人(凡夫)にすぎない。
だから欲の泥沼に溺れたり、怒り腹だちの炎に焼かれたり、道理に暗いばかりに道を踏みはずして、つまずいたり・ころんだりして、人間の性に翻弄され(火宅=火災中の家のなか)ながらも、外に出よう(出離)としないのは、そのことに気づかないからである。 |
解説
凡夫とはただの人、なみの人のこと。人は地位や名誉、学歴や財産とかいった鎧・裃に自分自身を包み込んで、それが自分自身であると思いこんでしまう。
お風呂に入るときはすっ裸になるから、自分のからだの現状をたしかめることができる。その上お湯にとっぷり漬かるから心地よい。しかるに、鎧や裃を身につけている間は、それが邪魔になって、素直に自分自身をかえりみることができず、肩がこったりして自由を失う。
人は丸裸にならない限り、人間の性という煩悩に支配され、翻弄され、糸の切れた風船のように、風に流されて行方知らずになり果てる。
人は鏡の前にたち、そこに写った自分の容姿をみて化粧直しをしたり、襟を正したりする。しかし赤裸々な自分自身を写す鏡は、ほとけ様をほかにして何物もない。さえぎるなにものもない阿弥陀様の光明に、わが身と心のすべてを照らしだされて気づかされる私、南無阿弥陀仏とみ名をとなえながら、阿弥陀様と対面して気づかされる私とは、いったいどんな姿なのであろうか。 |
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