意訳
ただひたすらに阿弥陀仏のみ名を声にだして、南無阿弥陀仏と絶え間なくとなえ続けることは、まことに単純であり、容易な行いである。
人の心はいつも、あちらへころころ、こちらにころころと転がって、一時として停止せず、散り乱れがちである。ところが称名念仏を持続していると、おのずから散り乱れる心のはたらきはおさまり、あたかも鏡の面のようにしずまり、心は平静になる。 |
解説
人は自分の心の動きについて、ほとんど気づかずにいるが、俗に「心ころころ」といわれるように、常に外に向かって転がり動き続けている。ちょっとものごとを静かに考えようと、あせればあせるほどに、思いもしないことが次から次へと、走馬灯のようにとめどなく想われて、止めることが出来ないことを経験する。
仏典には人の妄念、雑念の数を「およそ一日一夜を経るに 八億四千万の念あり」と説き、さらに心の動きの速さを「野馬(の駆けめぐる)がごとく 猿猴(おんこう)(の枝より枝に移る)よりもはげし」と説いているほどである。このように心はどこまでも果てしなく、さまよい続けるから、一つのことにとりくみ、打ち込むには大変な障害となる。心を耕し養う仏道の修行においては、なおさらのことである。
南無阿弥陀仏とみ名をとなえ続けていると妄念、雑念に襲われるが、さらに押し進んでとなえ続けていくと、おのずから心は平静となる。つまり、み名をとなえる我が声が、わが耳に入る。わが耳に入ったわが称名の声が、心の散り乱れを制御し、心を集中させる。この不思議なはたらきは、南無阿弥陀仏とおとなえする名号に具(そな)わる偉大な功徳、阿弥陀仏の本願成就の上に具わる清浄化に由来する。念仏を申しながら仕事をせよ、とは宗祖上人の勧め。み名をとなえながら仕事に励めば、能率もよく立派な成果を期待できる。 |
|