意訳
阿弥陀さまは、ひとり歩きもおぼつかない私たち一人ひとりに、「とわのみいのち」が実るように護り導き、育てるために「わが名をとなえ われを呼べ」と、今なお呼び続けられている。お釈迦さまは、阿弥陀さまのわけへだてのない広くあたたかいこのみ心を、後の世のあらゆる人に伝えることを、出世の本懐とされた。お釈迦さまは称名念仏の外、いろいろな教えを説き遺されたが、それらはそれぞれの人の特定の素質能力にあわせて説かれたのであるから、ご本心ではありません。だから随機の法門であり、お念仏は随自意の法門である。 |
解説
人は相手に対して、自分の本心を伝えたいと思う。だからといって、ただちに伝えないで、相手が自分の本心を本当に素直に、正確に受け容れることができるように、あれこれと導いた上で、本心を伝える。いわゆる相手を調整することを等閑視できない。
人は千差万別であって、一概できない。それぞれに独自な素質能力を具えている。だからそれを伸し、独自性を発揮できるように導き育てることを怠ってはならない。
しかし人は千差万別であっても、人間の性に支配されて、欲をむさぼり続けたり、自分のおもいどおりに事が運ばないといって怒りの炎を燃やし、それらを自制できずに、ものの道理を踏みはずすような生活を、くりひろげている。人にはこのような共通性が具わっている。だから人ひとりも漏らさずに護り、みちびき育てる教え、指導者がなくてはならない。
「物栄え 心の枯れる」と嘆くのは、この人間の性(さが)のとりことなっていることに対する危惧のおもいである。 |
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