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選擇本願念佛のこころ(2)
ねがうべきは    (第1章)

無常のかなしみは 目のまえにみてり。いづれの月日をか をはりの時に期せん。さかへあるものひさしからずいのちあるもの 又うれへあり。
すべていとふべきは六道生死のさかひ ねがふべきは浄土菩提也。
「要義問答」
意訳
わが身の上に無常は刻々に迫り、目の前に満ちみちて、終焉(しゅうえん)の日がいつ訪れるか予測できない。
栄枯盛衰(えいこせいすい)といわれるように、都合のよいことはいつまでも続かない。人のいのちもまた同じであり、決して長らえることはない。
遠ざけ捨てるべきは、欲に溺れ、怒りの炎に焼かれながら、生き死にを繰りひろげる流浪の身であり、願い求むべきは阿弥陀仏のみ許(もと)に里帰りし、いろいろお導きを頂き、さらにこの生き死にの世界に舞いもどって、縁ある人も縁なき人も共に導いて、阿弥陀仏のみ許(もと)に連れもどすことである。
解説
私たち一人ひとりは仏の子であると共に人の子である。つまり、私たちは阿弥陀仏のかけがえのない愛し子としての仏の性(さが)を宿しているが、悲しいかな人の子として、人間の性(さが)をもって仏の性を隠覆し、阿弥陀仏の愛し子であることに気づかないまま、流浪の日暮らしを続けている。阿弥陀仏のみ心に背を向けっぱなしの親不孝ものこそ私自信である。
しかし、阿弥陀仏は本願の大慈悲心をもって、不孝ものの私たちを一人漏らさず摂取(おさめと)り、さらに、まだ気づかないのかとばかりに、「わが名をとなえよ。われを呼べ」と、今にいたるまで呼び続けられている。
この阿弥陀仏の親心に応えて、この私をどうかお導き下さい、お譲り下さい、お救い下さいという切なるおもいをこめて南無阿弥陀仏とみ名をとなえ、阿弥陀仏の真(まこと)の愛し子となり、阿弥陀仏の極楽浄土(みもと)に往生(さとがえり)しようではありませんか。

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