解説
私たち一人ひとりは仏の子であると共に人の子である。つまり、私たちは阿弥陀仏のかけがえのない愛し子としての仏の性(さが)を宿しているが、悲しいかな人の子として、人間の性(さが)をもって仏の性を隠覆し、阿弥陀仏の愛し子であることに気づかないまま、流浪の日暮らしを続けている。阿弥陀仏のみ心に背を向けっぱなしの親不孝ものこそ私自信である。
しかし、阿弥陀仏は本願の大慈悲心をもって、不孝ものの私たちを一人漏らさず摂取(おさめと)り、さらに、まだ気づかないのかとばかりに、「わが名をとなえよ。われを呼べ」と、今にいたるまで呼び続けられている。
この阿弥陀仏の親心に応えて、この私をどうかお導き下さい、お譲り下さい、お救い下さいという切なるおもいをこめて南無阿弥陀仏とみ名をとなえ、阿弥陀仏の真(まこと)の愛し子となり、阿弥陀仏の極楽浄土(みもと)に往生(さとがえり)しようではありませんか。 |