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選擇本願念佛のこころ(5)
「ひとつになって」

生ほとけを礼すれば、仏これを見給(たま)ふ。衆生仏をとなふれば、仏これをきき給ふ。
衆生仏を念ずれば、仏も衆生を念じ給ふ。かるがゆへに阿弥陀仏の三業(さんごう)と、行者の三業と、かれこれひとつになりて、仏も衆生もおや子のごとくなるゆへに、親縁(しんえん)となづく。
『往生浄土用心』(『拾遺和語燈録』巻下)
意訳
極楽浄土にお迎えを頂きたいという、切なる願いをこめて、南無阿弥陀仏とみ名をとなえながら、極楽浄土の主人である阿弥陀仏に 向かって礼拝をする私の姿を、阿弥陀仏はしかとご覧になっています。極楽浄土に往生したいという篤(あつ)いおもいを声に託して、阿弥陀仏のみ名をとなえる私の声を、阿弥陀仏はしかと耳に受けと められています。どうぞこの私を極楽浄土に迎接(こうしょう)して下さいという篤いおもいを、阿弥陀仏は愛しのわが子よ、人間の性(さが)にまみれずにわが子として成長するようにと、篤いあついおもいを送られています。このように救い主である阿弥陀仏の身と口と心の三つのはたらきと、阿弥陀仏のみ心のままに礼拝し、み名をとなえ、仏を念ずる私の身と口と心の三つのはたらきが、一つにとけあいますから、まるで親子のような親しさを実感し、慈母に接したようなぬくもりに包まれ、身も心もくつろぐことができます。
解説
私たちは違(たが)いなく人の子ですから、むさぼり、怒り、ものの道理を見失うというように、人間の性に駆使された日暮らしを、 繰り返しています。ところが南無阿弥陀仏とみ名をおとなえしてい ますと、私は阿弥陀仏にとって、かけがえのない愛し子である、と実感するようになります。私たちはもともと阿弥陀仏の無量寿とい う永久(とわ)のみいのちを、生まれながら宿しているのです。しかし人間の性におおわれて、そのことに気づかずにいるのです。
 幼な子は母親の姿が見えないと不安のあまりお母さん、お母さんと呼び続けて、探しまわります。南無阿弥陀仏とみ名をとなえ、阿弥陀仏をお呼びすることによって、人間の性にふりまわされ、頼るべき何ものをも持たない不安、憂い悩みを解消し、あまつさえ心霊 の親にまします阿弥陀仏と親子の間柄にあることを実感し、心霊のみ親に導かれ、護られた生活を営むことができるのです。要するに 阿弥陀仏と私は、精神的血縁関係により結ばれているという自覚こそ親縁(しんえん)であります。

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