意訳
自営業を営む人も、サラリーマンも、おしなべて仕事におわれて、お念仏などは申す暇がないと言う。
されども、暇のできるのを待つのでなく、やりくりして、暇をつくりだしてでも お念仏を申すべきである。 |
解説
私は健康で、何の悩みもありません。働き盛りの私は、お念仏を申すにはまだまだ年が若すぎます、と人はいう。お念仏するのに適齢期があるのだろうか。
仕事におわれ、はたらきどおしに働いて、体に疲れを感じる人。仕事のために東奔西走しても、思うようにことが進まず、身も心も共に疲労困憊の人。総じてそういう人の多くは、夜を徹して演歌を歌って憂さをはらし、あびるように飲酒して、その場をしのぐ。 人は身勝手で、いくら忙しくても、自分の好みにあったことなら、喜びいんさんで無理をしてでも時間をさいて、でかけてゆく。急ぎの仕事をしながら、一服といって休息をとってタバコを吸い、お茶を飲む。
わが身わが心は、自分の身と心であっても、ご先祖様からうけついできた身心である。さらによく考えると、ご先祖様もろとも阿弥陀様から頂いた身心である。体を維持するために空気を吸い、食事をとり、睡眠するが、心はいつも放置され野ざらしに打ち過ぎ、耕すことを怠りがちである。
現在は過去を背負い、未来を孕んでいるというが、南無阿弥陀仏とおとなえする一声一声ごとに、今までとは打って変わった、あかるい生き生きとした未来に向かって前進する。未来を方向づける過去からの働きかけは、影をひそめる。
暇をつくってでもお念仏をとなえて、心を耕し養い育てて、うるおいのある未来を創造しよう。 |
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