法然上人の足跡
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■吉水の由来
吉水禅坊は法然上人が流罪の後念仏停止となり、慈鎮和尚が経営なされ、慈円山大乗院安養寺と号されました。慈円は慈鎮和尚の名から取り、大乗は院号、安養寺は、慈鎮和尚の有名な歌「おほけなく憂き世の民におほうかな我が立つ杣に黒染の柚」の意味を含み、世の中に感謝し、民衆の恩で喜んで暮らす気持が顕はれております。
慈鎮和尚は安養寺を経営するに当り、弁天尊を寺の鎮守として勧請されました。弁財天は印度以来の寺院の守護神です。吉水弁財天と呼びますが、吉水は元来土地の名で、境内地から霊泉が沸きよい水だから、このあたりを吉水と称しました。堂の前に慈鎮和尚閼伽の水、円光大師伝法の地の碑柱があります。
この水を青蓮院で灌頂法会が行はれる時、道中に高張提灯を建て汲みに来ておりました。また維新前には、知恩院や東大谷からも正月の仏前の初水として年々汲みに来られました。足利時代になって、至徳年間(1384〜1387)時宗の国阿上人が当方面を巡化され、住職の懇請により以来縁あって念仏門時宗(一遍上人開宗)の寺となっています。
親鸞上人が法の師を求めて叡山より六角堂の観世音に百日参籠され、その霊告を受けて法然の膝下に参られたのは、法然上人69才の時であり、浄土宗第2代聖光房(鎮西上人)との出合いは、法然上人65才、聖光房36才のときです。その他吉水草庵に歩を運び、親しく上人の教化に浴した人々に勢観房源智上人、熊谷蓮生房、阿波之介、天野四郎等その数限りなく、吉水の清き流れは、悩める人々の心を潤し、濁れる心を洗い続けて来たのです。

〃くみえては濁らざらまし吉水の清き流れにすみわたる身は〃

■門前碑柱
門前に「真葛原吉水庵室」と書かれた古い碑柱が建っていますが、現在円山公園になっている一帯を昔は「真葛原」と呼ばれており、安養寺はその東北の隅に位置しております。