|

法然上人は比叡山から奈良や京都の高僧に教えを受けるため各地をたずねられた。しかし、「すべての人々がひとしく救われる道はないか」という問いに答を見つけることができず、また比叡山にこもり、お釈迦様が説かれた一切経を何度も読み返し、修行と学問に励む毎日に戻られたのです。
それから十数年、承安5年の春、ついに念仏によって人々がひとしく救われるという道を見出し、浄土宗をお開きになったのでした。
そして人々に伝えて行くために比叡山をおりて都へむかわれたのです。当時白川の禅房と呼ばれていた地を訪れられ、西に都を望む丘の上の突き出た岩に腰掛けられお念仏をされたのでした。すると空に紫の雲がたちまちにしてたなびき、いくつもの光が差し込めているような光景をみられたと伝記に残っています。(この逸話を紫雲石(しうんせき)の逸話といい語りつがれています。また、その腰掛けられた岩を紫雲石といい、現在はお堂の中に安置されています。)
そしてその場所に法然上人は小さなお寺をつくり、お念仏の輪を広めていかれたのです。
|
|
|