ご家庭・お子さまで


特集

  • 宗祖法然上人800年大遠忌
  • ともいきがたりTV
  • 浄土宗全書検索システム
  • 浄土宗携帯サイトのご案内

関係団体リンク

  • 浄土宗ネットワーク
  • 浄土宗出版
  • 浄土宗総合研究所
  • 浄土宗報恩明紹介
  • 浄土宗教学院
  • 全国浄土宗青年会
  • 浄土宗スカウト連合協議会
  • 法然上人をたたえる会
  • 浄土宗平和協会
  • その他 関係団体
  • その他 関係団体

平家物語第1号(1)

画像

第壱號

成立:建仁、建保〜承久年間/内容:天承元年3月〜建久2年
構成:迦陵頻伽/絵=塩森恵子

琵琶法師
▲盲目の琵琶法師、生仏

謎と無常、美と浪漫に満ちた物語

如是我聞

浄土宗三3祖良忠上人2祖の鎮西上人を引き合わせたひとりの僧がいる。その名を生仏という。
徒然草の記述では「平家物語」はじめての語り手となる琵琶法師の名も生仏。
もしこれが同一人物であったならあの世界に誇る一大叙事詩を貫く大テーマとして、太く浄土教の思想が横たわることの謎が解ける。
いや、もしその想像が当たっていなくとも浄土教の思想が連綿と籠められていった「平家物語」の成立に法然上人の門流が深く関与していたことは明らかである。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

識者にして高名な随筆家、吉田兼好は、このほど信濃前司行長がついに平家の物語を作品として書き下ろしたということを報告した。 これは兼好の「徒然草」に発表されたもので、のち行長はそれを生仏という盲目の琵琶法師に教え、生仏はただちに自分のライヴに取り入れ、語り始めた、という。
これまでも全国で琵琶法師の語りは行われ、社寺の縁起や霊験譚、合戦談、その他民間伝承など、さまざまな「語り」を持っていたことが確認できるが、この「平家物語」が現れたため、都を中心とした聴衆の興味は一気にこれひとつに集中してしまう模様である。

大人気、早くも異本続出

声で語り、耳で聴き覚える芸能の宿命として、この「平家物語」もさまざまな形で全国に伝わった模様。
3巻本、6巻本が12巻本に増大集成されたり、全国展開の過程で異本も続出、「幾人もの知識人が内容に手を加え表現に筆を加えたはず」と信頼すべき筋の指摘は、一致している。すなわち一方本、延慶本、長門本など、琵琶法師ライヴは数えきれないほどのバージョンをもって拡がっていった、と思われる。

平忠盛、清涼殿に昇る!ただちに闇討の密議が謀られる

おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ。偏に風の前の塵に同じ。
六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛の振舞は想像を絶する事態であることが判明した。
清盛は桓武天皇の第五皇子の9代子孫。その父、忠盛はとある仏事供養で鳥羽上皇の信任を得、清涼殿に昇殿を許された。「ここから平家の大躍進が始まった」と消息通 は語っている。
その日は朝からあいにくの雨模様だったが、この昇殿をねたんだ旧来の殿上人たちは、忠盛を闇討にしようと密議。しかし相手は桓武天皇の子孫とはいえ、都に住むこともほとんどなく、伊勢に長く居住して武門として出立した平氏である。密議を謀った公家たちはあっさり闇討を見抜かれてかえって脅えきってしまい、あとは得意の歌舞音曲で遠くからからかうだけのありさまとなった、という。

画像
▲嫡子重盛、内大臣・左大将
次男宗盛、中納言・右大将

平家にオカルト的味方?「あっ船に鱸が!?」

この忠盛の嫡男が清盛である。
保元・平治の2つの乱に勝利をおさめたことを契機として、父の拓いた道を一挙に昇りつめていった。 清盛がまだ安芸守だった頃、伊勢から熊野へ参詣する船に、大きな鱸(すずき)が躍り込んできたという。 先導する修験者が「これは熊野権現の御利益」というので、精(しょう)進(じん)潔(けっ)齋(さい)を破りこれを食べたところ吉事ばかりが続くことになった、という。

この「平家物語」は(財)報恩明照会のご協力により(財)報恩明照会発行の「法然」(第2号)に掲載された「平家物語」をホームページ化したものであります。