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成立:建仁、建保〜承久年間/内容:天承元年3月〜建久2年
構成:迦陵頻伽/絵=塩森恵子
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清盛の娘、中宮徳子御懐妊の報に平家一門は「いさみ悦びあはれ」、権勢強化の一大局面を迎えた。
しかし中宮は思いもよらぬ難産。
清盛は茫然自失。御験者、陰陽頭典薬頭の加持祈祷によってもたえまない陣痛に苦しまれるばかりの報。
頭中将重衡、其の時はいまだ中宮の亮にておはしけるが、御簾の内よりつっと出でて、 「御産平安、皇子御誕生候ぞや」
清盛、あまりのうれしさに声をあげて泣いた、と伝えられる。
さる程に、鬼界が島へ3人ながされたりし流人、2人は召しかへされて都へのぼりぬ

ぼくは有王。
俊寛僧都さまに、うんと幼い頃から可愛がられ、身の回りのお世話をさせてもらってきた者です。
先日、鹿が谷の陰謀グループ中、鬼界が島に流された人が御赦免となるというので鳥羽まで迎えに出たのですが、そこに着いたのは丹波少将成経さまと、平判官康頼さまだけ。
ぼくのご主人さまだけが帰ってきません。
「どうしてですか」と聞くと、
「その人はなお罪が重いというので島に残されなさった」と言うのです。
それからは六波羅のあたりを歩き回り、検察筋の情報を集めようとしたのですが、さっぱり。
ぼくの能力では、いつ頃、釈放になるかがつかめませんでした。
そこで決心しました。こうなったら僧都さまがいらっしゃる鬼界が島に渡って、安否だけでも確かめてこよう。
折角だから、僧都さまのお嬢さまのお手紙も預かって手渡そう、と。
苦しく切ない旅でした。
父母に相談してもきっと許してくれないだろうと思い、知らせずに出発しました。
幾つもの船を乗り継いで、ときには着物をはぎ取られながら、島に着きました。
件の島にわたってみるに
都にてかすかにつたへ聞きしは
事のかずにもあらず
田もなし、畠もなし、村もなし、
里もなし。おのずから人はあれどもいふ詞も聞き知らず。
こんな人たちの中にぼくのご主人の行方を知っている者がいるんだろうか。
何日か探し歩いた、ある朝です。
蜻蛉のように痩せて、髪は上向きに生え立ち、藻屑がからみついて、まるで藪の茂みをかぶったような男がよろよろと磯の方から出てきました。関節の骨が見え、皮膚はたるんでいます。餓鬼とはこのこと!これほど酷い姿の人間をぼくは見たことがありません。
それでも、こんな人でも、ご主人のことを知っていることがあるかもしれないと思い、
「お尋ねします」と声をかけると、「何だ」と答えます。
「この島に都から追放された、法勝寺の執行御房を探しています。知ってはいませんか」
「わたしこそ、それだ」
ご主人さまを名乗った人は、手に持っていた魚とあらめを投げ捨て砂浜に倒れ伏して気を失ってしまったのです。
おのずからの食をもとどめ、
偏に弥陀の名号をとなへて、
臨終正念をぞいのられける
有王わたって23日といふに、
其庵のうちにて遂にをはりたまひぬ
年37とぞ聞こえし。
この「平家物語」は(財)報恩明照会のご協力により(財)報恩明照会発行の「法然」(第3号)に掲載された「平家物語」をホームページ化したものであります。