

成立:建仁、建保〜承久年間/内容:天承元年3月〜建久2年
構成:迦陵頻伽/絵=久保周史

「やや実盛、なんぢ程の強弓勢兵、八ケ国にいかほどあるぞ」
「さ候へば君は実盛を大矢とおぼしめし候か」
東国の案内者、斎藤別当実盛に、大将軍平維盛が右のような会話を交わしたことがフォーカスされた。実盛は高笑いしてこう続けたという。
「私が強い弓を引く、大矢を射るとお思いですか。私はわずか13束を引くだけのこと。私程度の者は板東8ケ国にいくらでもおります。大矢を射るとは15束が普通。弓の強さも屈強の者が5・6人で張るんですよ。彼らが射ますと鎧を2・3領重ねても、わけなく射通してしまいますよ」
「大名一人、勢の少ないところでも500騎。馬に乗れば落ちることを知らず、険阻なところも駆け抜けますね。戦いに臨めば、親が討たれようが子が討たれようが、屍を乗り越え乗り越え戦っていきます。
西国の戦いと申しますと、親が討たれれば仏事法要を営み、忌が明けてからの攻め寄せ。子が討たれようもんなら嘆き悲しんで、戦いすらやめてしまう。春に田を作り、秋に収穫して兵糧米を作ってから攻めようとか。夏は暑い、冬は寒いといって戦いを嫌いますよね。いっときますがね。東国の武者にはまったくそういうことは通用しませんからね」
平家の兵これを聞いて、みなふるえあがった、というから、この戦争戦う前から勝敗がわかっていたともいえる。
(フライデー追加取材)
討っ手の大将軍、平維盛。副将軍は薩摩守忠度であった。威風堂々、東国へ出立したが、この副将軍の薩摩守こそ、のちに無賃乗車の神となった人である(死語辞典・タダノリ=サツマノカミの語源)。
この「平家物語」は(財)報恩明照会のご協力により(財)報恩明照会発行の「法然」(第4号)に掲載された「平家物語」をホームページ化したものであります。