ご家庭・お子さまで


特集

  • 宗祖法然上人800年大遠忌
  • ともいきがたりTV
  • 浄土宗全書検索システム
  • 浄土宗携帯サイトのご案内

関係団体リンク

  • 浄土宗ネットワーク
  • 浄土宗出版
  • 浄土宗総合研究所
  • 浄土宗報恩明紹介
  • 浄土宗教学院
  • 全国浄土宗青年会
  • 浄土宗スカウト連合協議会
  • 法然上人をたたえる会
  • 浄土宗平和協会
  • その他 関係団体
  • その他 関係団体

平家物語 4号(2)

画像

第四號 源平

成立:建仁、建保〜承久年間/内容:天承元年3月〜建久2年
構成:迦陵頻伽/絵=久保周史

驕れるものひさしからず

三月二十四日午後五時平家一門、壇ノ浦でついに壊滅・滅亡

屋島の敗北
平家、瀬戸内の制海権を失う

平清盛の甥、越前三位通盛の戦死を知り、その愛人小宰相が舟から海中へ身を投げた。
飛び込む前、西の空に向かい声を限りに、
「阿弥陀如来さま。本願にあやまたず、浄土へお導きください。心ならずも別れた妹背の仲であれば必ず同じ蓮の上にお連れください」と懇願した。

宝剣、喪失す

清盛の妻二位尼時子は八歳の安徳天皇を抱いて海中に身を投じた。
このとき三種の神器のひとつである宝剣がともに海中に没した模様。
天皇の母、建礼門院は後を追ったが源氏方によって命を救われた。

堀川御堂、獄中からの嘆願
重衡「法然上人にお会いしたい」

清盛の息子、三位中将重衡は一の谷戦によって捕虜の身となったが、この男ただの敗軍の将というわけではなかった。
南都奈良の興福寺、東大寺を焼いた直接の責任者であり、この重大な犯罪歴が彼の精神の内部で膨れ上がりやつれ果てていたのであった。
法然上人は堀川に赴き、諄々と説かれた。

罪深いといって卑下することはありません。十悪五逆の罪人も仏縁を結べば往生できます。無間地獄の苦しみを救ってくださるのが阿弥陀仏の慈悲の心であります。今あなたは仏縁を得たのです。一心不乱に阿弥陀仏の名を呼びなさい。お念仏を称えなさい。慈悲にすがりなさい。

重衡はただただ感動の涙でこれを聴聞したのであった。
後日談がある。
この重衡はこののち鎌倉へ送られ源氏の総大将、源頼朝に会うことになる。そのときはもう念仏の教えによって一片の翳りもなく覚悟の整った姿となっており、頼朝はとても処刑するにはしのびないと京都へ送り帰したというものである。しかし直接の被害者であった東大寺興福寺の僧兵たちはこれを許さず身柄の引き渡しを要求。木津の河原でついに処刑となるがその折、重衡は念仏を称え、微動だにしなかったのであった。

この「平家物語」は(財)報恩明照会のご協力により(財)報恩明照会発行の「法然」(第5号)に掲載された「平家物語」をホームページ化したものであります。