
法然上人受戒の師。慈眼房という。一説に坊門宗通の孫大宮伊通の子と伝える。
良忍に師事し、円頓戒、融通念仏、如法経(経文書写)の法則などを伝え、円頓戒ではとくに黒谷流の戒師として名高い。
1150年(久安6)秋、法然が入門し、57年(保元2)親交のあった中納言藤原顕時の孫信空も弟子となった。
また54年(仁平4)5月、右大臣源雅定の出家の戒師なつとめたり叡空は法然に円頓戒の奥義、浄土教などを授けたが、戒体論や観仏・称念の優劣論をめぐって法然との間に意見の相違があった。
『勅伝』13によれば、法然ほ「慈眼房は受戒の師範なるうへ、同宿して衣食の二事、一向このひじりの扶持なりき、然て法門をことごとく習たる事はなし、法門の義は水火のごとく相違して、
しかし叡空は晩年本尊・聖教・坊舎などことごとく法然に譲っている。没年は79年(治承3)4月とも同年2月とも伝えるが確かではない。
著書に『円頓戒法秘蔵大網集」1巻がある。
(参考『勅伝』3・13、『翼賛』57、『九巻伝』1下、「没後起請文」。)