

勢観房あるいは
その法然上人の臨終に際しては、亡くなる2日前、浄土宗の教えの
他にも、ある一大事業を計画している。それは760年余り経った昭和49年に日の目を見ることになる。

滋賀県玉桂寺(真言宗)の阿弥陀立像の胎内から46,000に達する人の名が書かれた「
源智が、その年に亡くなった法然上人の供養のために阿弥陀仏像を造立、中に、結縁した人びと、また、亡くなっている人の名は、その近縁者によって署名された交名帳を納めた。
署名は東北から九州の人にまでおよんでおり、交通手段もない時代に、これだけの署名を集めるには、全国に広がっていた念仏者の協力はもちろんのこと、それを束ねるけん引者の存在なくしてはできるものではない。それが源智だったのだ。

阿弥陀立像の胎内には「建暦2年12月24日沙門源智敬白」と書された願文も発見された。これには「私が歩んでこられたのは、海よりも深く、山よりも高い法然上人の恩徳のおかげであり、さらに法然上人はお念仏によってあらゆる人を救ってくださった。ここにお納めする人びとも同じようにお導きを願うものである」といったことが書かれていた。2人の師弟関係をよく表したものである。
晩年、賀茂の上人と呼ばれた源智は、暦仁元(1238)年12月12日、56歳で賀茂の功徳院にて没した。
著書に『選択要決』1巻、『御臨終日記』(醐醍本所収)、『一期物語』(同上)がある(一二・一二寂)
(浄土宗新聞平成12年11・12月号記載より)