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貴族にもおよんだその教え

後白河上皇 (ごしらかわじょうこう)(1127-1192)(大治2-元久3)

77代天皇。名は雅仁。法諱は行真。鳥羽天皇の第4皇子。母は待賢門院璋子。久寿3(1155)年に天皇に即位。 この即位をめぐって保元の乱がおきる。在位3年と短いながらも、内乱の中にあって、新制七条を定め、荘園の整理を行うなど権力の基盤を築き、その後も5代の天皇で院政を行って、朝廷の権威の存続をはかった。 58年(保元3)二条天皇に譲位、以後5代34年間院政をとる。

嘉応元(1169)年、出家して覚忠に受戒、法皇となり、行真と号した。 法然上人を招いて、円頓戒(えんどんかい)この戒によって、速やかに円満な人格が形成できる)や、『往生要集』の講説を受けており、これに感動した法皇は藤原隆信に命じ法然上人の真影を描かせた。 これが知恩院蔵の「隆信の御影」である。『勅伝』9には「後白河法皇東押小路の仙洞にて御如法経を修しましますことありき。上人をもて御先達とせらる。文治4年8月14日御経衆は法皇、妙音院の入道相国師長公、源空上人ならびに門弟行賢大徳。(下略)」と記されている。

(浄土宗新聞平成12年11・12月号記載より)