
法然上人の門弟。陸奥寺主実遍の子。 安楽房(遵西)とともに別時念仏六時礼讃を行い、その美声から多くの善男善女の帰依を受けた。
建永元(1206)年12月、やはり安楽房とともに、京都鹿ケ谷において六時礼讃念仏を修した。このときは後鳥羽上皇が熊野へ御臨幸中で小御所の女房2人松虫・鈴虫が、この法会に参詣し帰依のあまり出家したから、これが上皇の怒りにふれてしまった。
これによって南都僧徒はこれに乗じて専修念仏弾圧の動きが強くなり、翌年住蓮は、近江蒲生郡馬淵にて斬罪となり、他の弟子も斬罪や遠流といった厳しい処罰に、また法然上人の四国配流の引き金ともなってしまった。 (2・9寂)参考『尊卑分脈』『三長記』『愚管抄』6、『勅伝』12、33、『知恩伝』『法然上人秘伝』『授手印決答受決鈔』『歎異抄』『法水分流記』『近江輿地志』、三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』、同『浄土宗史の諸研究』。
(浄土宗新聞平成12年11・12月号記載より)