
真観房。文才に長じ書をよくしたので進士入道と呼ばれる。常に法然上人のそばに仕えた弟子のひとりで、同じ入室の弟子源智を教導していた。 『勅伝』48によれば19歳にして出家して法然に師事し、 また、1198年(建久9)大変な達筆だったようで、安楽房に代わって、『選択集』第四章段以降の執筆にあたったり、武蔵国の御家人津戸三郎の質問に対する返答の執筆役もつとめている。
法然上人はこの感西にも、吉水の中房などを縦承するとしていたが、正治2(1200)年2月6日、法然上人よりも早く、48歳の若さで往生の時をむかえることとなった。
『没後遺誡文』に吉水中坊、高畠の地一所を感西に与えるとあり、法然門下の上足であったことがわかる。上野国の御家人大胡太郎実秀が法然に教えを乞うたとき、法然に代って消息を認め送ったと伝えられる。
参考『漢語燈録』『九巻伝』『翼賛』45、48、『鎮流祖伝』3。
浄土宗新聞平成12年11・12月号