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その他の弟子たち

然空(ねんくう)-1297(永仁5)

鎮西流一条派の祖。13世紀末、浄土教の混乱していた京都に鎮西流を定着させ、発展への下地をつくった人。礼阿・法光明院ともいう。 阿部貞公の子。比叡山に登って永存に師事、のち1272年(文永9)良空と鎌倉に下って良忠に師事して3年間浄土宗義を学ぶ。 その後上洛して仁和寺の西谷法光明院に住んで布教に専念したが、自分の力で教界を刷新することは思うようにいかず、良忠の上洛を要請した。良忠は76年(建治2)に上洛。 翌年2月20日良忠より『末代念仏授手印』を授与され、以後86年(弘安9)まで良忠につき奥義を相伝した。良忠入寂後は、同門の良空(木幡派祖)・道光(三条派祖)とともに尽力、京都の浄土宗界で重要な位置にあった。 『大経聞書』『浄土要略鈔』『心行雑決』の著述のほか、96年(永仁4)には道光の『大経鈔』の校閲も行なっている。 一条派が有名になったのは京都の清浄華院を中心に活躍した弟子証賢のときでそれ以前は西谷流ともいわれたが、一条派の名もここから起こる。 やがて壇越万里小路(までのこうじ)氏の帰依によって貴族の尊敬を得、皇室との結びつきも深くなり、一時京都における浄土宗の主流を占めた。

(浄土宗大辞典より)