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良空(りょうくう)?-1297(永仁5)

生国・出自は不明。慈心という。鎌倉時代の学僧で、良忠門下木幡派(こばたは)の派祖。 鎮西流の興隆に貢献した。1272年(文永2)一条派然空とともに鎌倉悟真寺の良忠のもとで3年間学び、帰洛して鎮西流の布教に専念したが、当時の京都では教義の統一が難かしかった。 そこで然空らと相談し、76年(建治2)良忠の上洛を懇請して大大的に思想の統一を計った。良忠は翌年然空に『末代念仏授手印』を授け、毘沙門堂弥の要請で『選択疑問答』を著わし、79年(弘安2)には道光に円頓戒を授け、翌年には『末代念仏授手印』を授け82年(弘安5)には『安楽集私記』を著わした。 こうして在京11年、老齢の身をもって布教に、著述に超人的な活躍を続けたが、その影の助援者となったのは、良空・然空道光であった。 良空の『末代念仏授手印』は現存しないが、おそらく上洛早早に授与されたものと考えられる。良栄の『十六疑問答見聞』によると、良忠は良空を後継者の第一人者としたという。 それは事実ではないが、浄土宗義に明るかったことは事実で、『東宗要』は然空とともに『伝通記』から抜萃して編纂したという。また後学者のことを考えて『無量寿経』の注釈書を作成するよう道光に命じたのも良空であった。 そして94年(永仁2)然空道光の3人で精論し治定している。このように良忠入寂後は京都における良忠門下の長老として子弟の育成に貢献し、鎮西流の神髄を京都の浄土教界に植えつけた功績は大きい。 良空は宇治木幡の尊勝寺を本拠としたために、後世この系統を木幡派と呼んでいるが、在世時代は派閥らしいものはなかったと思われる。『浄土伝燈総系譜』によると、弟子に如一・唯覚・善願の三人を挙げているが、『法水分流記』には5人を挙げている。 しかし一派を形成したかどうかは疑問。良空は尊勝寺のほか、地蔵寺・阿弥陀寺・道楽寺・地蔵院などの開山といわれ、また多くの著作があったようにいわれているが、現存するものはない。 (7・8寂)

(浄土宗大辞典より)