

生きているということは、死に向かっていることだ、これは言うまでもありません。わたしたち人間は、いや人間も含めた生物は、この世に生を受けた瞬間に必ず死を迎えることを、その定めとして生活をしています。
法然上人が浄土宗を開宗された時代は、それこそ人の寿命は現代に比べると非常に短く、また伝染病などで多くの命が失われたりするなど、死そのものがもっと身近にありました。ですが、現在は医療の発達や環境の変化などにより、死というものの親近感は薄れてきています。このごろでは死を迎える場所はほとんどが病院になり、家族が見守る中で息を引き取ることはずいぶんと減ってしまいました。かつては臨終の人の手に五色の糸を結んだり、
こうした昔からのさまざまな慣習やしきたりなどが集大成されてきて、現在の葬儀式(葬儀)があります。ですから、一見なんのためなのかわからないような事でも、それなりの理由があるのです。この段では葬儀はもとより、葬儀にまつわるいろいろな事をこうした成り立ちを含めて見直してみたいと思います。
喪主になる機会は、ふつう一生に一度あるかないかといえますし、また、親族になることも限られています。ですが、死は老若男女も季節も時間も問いません。突然訪れるものです。ですから、そうした時にあわてず臨むためにも、このホームページをお役立てください。