
中に何も入っていなかったり、また、だれもいず、ガランとして広かったりするありさまに使う。広い建物、例えば講堂や体育館などは、人が使っていない時、とかくがらんどうの感じが強い。
これに漢字を当てると「伽藍堂」となる。つまり、伽藍というのはお寺、堂は神仏を祀るとか、多くの人を入れるための建物のことをいう。殿堂、廟堂、公会堂その他、大きくて広く立派な建物のことは、とかく「堂」をつけ、「正々堂々」などのように、小細工のない、貫録があることを形容するにも使う。ここから、学問や技芸などが深奥に達するのを「堂に入る」というようになった。
いずれにせよ、寺院というものは、古来から、広く大きい建築物で、ふだんはほとんど人気がなく、堂々と静かなたたずまいを誇ったものである。そこから「伽藍堂」という形容句が生まれたものであろう、と思われる。
一般に、人のいない部屋などでも、「ガランとした」という形容を使うことが多いが、語源は同じと見てよかろう。
ただし、頭の中が空っぽで「がらんどう」の状態にしておくのは感心できない。さればといって、詰め込み主義もどうかと思う。人は常に頭の中を整理して、適当な空間を保ちながら生きることが望ましい。
※これらは、「えっ、これが仏教語?ー日常生活の中の仏教語ー宝田正道著」から引用していますが、HP掲載用文章に変更しております。