
「私が悪かった。堪忍して…」
「ならぬ堪忍、するが堪忍」
などというふうに使われる。つまり、怒りをこらえて忍び、他人の過失を許すことである。
本来は、苦難を堪え忍ぶ意味であったが、肉体的な苦しみだけでなく、精神的な悩みにも耐えて、じっと我慢することから転じて、他人を許す度量の広さをあらわすようになったものであろう。
「忍」という字は。「心」の上に「刃」を置く。そのように、心臓に刃をつきつけられても、たえしのぶ意味をあらわしている。この世を「娑婆」というのは、梵語サバーの音写で、訳せば「忍土」つまり、あらゆる四苦八苦を忍ぶ世界という意味である。
だから、この世はもともと苦の世界、楽をして生きようなどと考えること自体が間違いなのである。あらゆる苦難を耐え忍んでこそ生きる価値がある、と思わなくてはならないのである。
青春時代には、若さにかまけて、ちょっとしたことにも怒りを爆発させ、とかく暴言や暴力沙汰を起こしやすいが、それをぐっと我慢し堪忍することが大切である。人間がひとまわり大きく成長するのは、そういう時である。なんでも堪忍できる人になろうではないか。
※これらは、「えっ、これが仏教語?ー日常生活の中の仏教語ー宝田正道著」から引用していますが、HP掲載用文章に変更しております。