
若い人たちの間で、仲間同士が隠語を使って話す場合、例えば銀座を「ザギン」、女を「ナオン」などということがある。この傾向は今も昔も変わらないらしく、江戸時代にも「きせる(煙管)」を「せるき」、「えんぎ(縁起)」を「ぎえん→げん」などと倒語にしていう下俗の方言が一時流行したことがある。
「だらしがない」の「だらし」もこの類で、もとは「しだら」だったという説がある。つまり、「しだら」(修多羅)は梵語スートラの音写した言葉で、物を貫き綴る経(たていと)の意味である。この修多羅がないと、とじ紐のないノートのように散乱して、規律の失われた締まりのない状態、すなわち「しだらがない」→「だらしがない」ということになる。「ふしだら」も同様である。
ところが、一方ではこんな説もある。
「だらし」は「
遮という接頭語をつけたもので「
遮は坊さんの修業を積んだ年数による席次をあらわす。だから、この「
遮がないと年功の序列が乱れ、無秩序となる。そんな状態を罵って駄馬、駄賃、駄菓子のように「駄」をつけ。「駄
次がない」の語ができた、というのである。
いずれにせよ、昔の坊さん仲間の「だらし」ない行動に起因する語源らしい。まねしてもらいたくない形容詞である。
※これらは、「えっ、これが仏教語?ー日常生活の中の仏教語ー宝田正道著」から引用していますが、HP掲載用文章に変更しております。