
昔の食卓では、子どもがご飯をこぼしたりお菜を食べ残したりすると、親から「もったいない」といって叱られ、一粒のお米でも拾わされたりしたものである。
今は、そういう古めかしい「しつけ」はないかもしれないが、例えば、プロ野球などで、一打同点または勝ち越しのチャンスに、期待の打者が三振したり、ランナーが凡ミスで殺されたりすると、観客席から、思わず「惜しい」とか「もったいない」などという慨嘆のつぶやきが聞こえることも多い。
「もったいない」という言葉は、このように使える物を粗末にしたり生きる好機をみすみす失ったりする時に、よく使われる。つまり尊い「もったい」を「なくする」意味である。
「もったい」というのは、世の中の事々物々すべては、みな互いにもちつもたれつの関係でこそあれ、それ自身単独でわが本体とすべき存在ではない、という仏教の基本的な考えを示すもので、「体なし」すなわち「勿体」という漢字をあてるのである。逆にいえば「勿体」は事物のすべてが互いに多くの縁でつながっている状態を示し、「勿体ない」はその一端をつぶし汚す結果を招くところから出たわけである。
いわば「おかげ」を無視して万物のいのちを無駄にする心が「もったいない」に通じるのである。
※これらは、「えっ、これが仏教語?ー日常生活の中の仏教語ー宝田正道著」から引用していますが、HP掲載用文章に変更しております。